大当たりであった。なんと刺激的であったか。障害をもつ人々とのコラボレーションは初めてだったので、様子が分からなく、とにかく「キメゴト」があまりない方がいいだろうと思って、即興演奏で練習を始めたところ、それに合わせて踊る彼/彼女たちのダンスはとても魅力的であった。定型にはまったダンスではないけれど、そうとしか動けないだろうなと思わせるほど、必然的で完成度の高いものだったのだ。全く訓練を受けていない彼/彼女たちが、なぜこんなに踊れるのか?
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たんぽぽの家のメンバーが高感度であったわけだが、もう少しぼくたちに引き寄せて考えると、ジャワ音楽あるいはジャワ楽器のもつ可能性もあなどれないのではないか。つまり、ガムラン楽器のもつ余韻の長さ、あるいは複雑なリズムの可能性が、彼/彼女たちの身体能力とフィットしたと思うのだ。大きな鉱脈を発見したと確信して、それからというもの、ぼくたちはリハーサルをほぼ毎月のように繰り返している。何が生まれるかは分からないけれど、即興という方法が、マルガサリとたんぽぽの家をつなげていることは確かだ。 |
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即興演奏だから、うまくいくときも、あるいはどうしようもなくひどいときもある。しかし、ぼくは思う。ジャワの古典音楽も、実はこのようにしてできあがってきたのではないかと。ぼくたちの前にあるジャワの音楽はほぼ完成された姿だ。実に多くのルールや定型がある。しかし、初めはそんなものではなかったはずだ。もちろん、いまマルガサリがやっているような、毎回姿が大きく変わるような即興ではないにしろ、ゆっくりと時間をかけて色々な人の即興的ともいえる思いつきが集積し、いまの形になっていったのだろう。そんなことを実感する。 |
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以上のような状況を野村誠氏は見抜いて、第4場の練習を始めた。これまでも野村さんとのセッションは即興的であったが、それがいっそう強まっている。今回もジャワの音楽家が参加しているが、彼らがどのように感じているのか、コンサートが終わってから聴いてみたいと思っている。 |
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