碧水ホール ガムラン プロジェクト 2006 マルガサリ 楽舞劇[桃太郎]全5場通し公演
日時:2006年9月10日(日) 13:00開演(12:00開場)  場所:甲賀市碧水ホール
チケット:前売@2000 / 当日@2500 (学生前売@1000 / 当日@1500 / 小学生以下無料)

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■2005年「第5場へのノート」
 
中川 真
 
 『桃太郎』を始めようと思い立ったときの動機はすでに書きました。もちろん4年前の第1場のプログラムノートを憶えている人などいないと思うので、要点のみ、ここに再録します。
 
 ジャワのガムランでは舞踊とか演劇と組み合わせるのが日常的です。つまり、ガムランは単体でも表現媒体だけれども、むしろ共同作業によって、その面白さはもっとふくらむ。そういう他のジャンルに対して常にオープンな媒体というところに、僕はガムランの魅力を感じています。日本でガムランをやるのだから、日本式の共同作業、作品を考えてみたいと思いました。そこで『桃太郎』という選択になったのです。それは『桃太郎』のもっている「普遍性」によります。将来、マルガサリ式『桃太郎』を海外で上演したいと思っているのですが、そのとき、『ラーマーヤナ』や『魔笛』に似ている桃太郎の粗筋は、それぞれの土地において受容(理解)の地平に役立つと思われます。 momo06-5-1.jpg
 
 そんな思いで開始したのですが、やっていくいうちに、当初の動機は背景に退き、様々な興味深い問題が出現してきました。例えば、『桃太郎』のストーリーと、それがもっている歴史的な「負の側面」です。桃太郎は、第二次大戦中には、日本の侵略の正当化のためのキャラクターになりました。日本が「善」で、鬼畜米英が「悪」という構図のなかで、しかも、その「悪」の対象は米英のみならずアジアにまで拡大されて、桃太郎としての日本は侵攻していったのです。このような桃太郎の登場の仕方は、豊臣秀吉の朝鮮半島遠征にまで遡るようです。実に重苦しい役割、キャラクターを桃太郎は背負わされてきたのです。ですから、教育の現場では、今日でも桃太郎には若干のタブーがつきまとっているようです。桃太郎自身には責任のないことですが、桃太郎という物語を単なる無邪気な民話として子供たちに伝えるには、無条件にOKという訳にはいかないようです。
 
 そんな状況から桃太郎を救出するというのが、僕の『桃太郎』に対する一つの目線となりました。そのためには、桃太郎や鬼の意味あるいは役割の転換が必要です。あるいは、もっと根本的な構造の転倒・・・・。そして、僕は(というかマルガサリは)後者を選びました。それを具体的に書いてしまうと本日の舞台を見る楽しみや驚きが減ってしまうので、ここでは控えますが、結果としては『桃太郎』は決定的な変更を蒙ることになってしまいました。本来ならば4場で終われるところを、僕たちの恣意によって、未知ともいうべき第5場を設営することになったのです。
 
 いずれにせよ、桃太郎を、上記のような「桃太郎像」から解放することには成功したと思います。しかし、そのために更に大きな荷物を背負ったことも確かです。その荷物の正体は何かということが第5場のテーマです。その荷物をすら投げだそうとは考えていません。背負い続ける意味や価値のあるものとして、あくまで前向きにとらえていきたいと思っています。が、・・・・・『桃太郎』は本当に第5場で完結するのでしょうか。
 
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主催:甲賀市教育委員会 / 甲賀市碧水ホール
後援:インドネシア共和国総領事館 / (有)ナルナセバ
協力:ティルト・クンチョノ / ブルーウェイ(株)


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