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『桃太郎』は5年がかりで制作されます。全5場の予定で、2001年にスタート。完成は2005年です。なぜ、そんなにゆっくりしたペースなのか? それは、独特のつくりかたをしているからです。
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『桃太郎』の構想はずいぶん早くからありました。1995年くらいからだったと思います。マルガサリの以前に、ダルマブダヤというガムラングループの代表をしていた私は、1996年にダルマブダヤとともにインドネシアのツアーを挙行、それなりの成功をおさめました。演奏したのは現代曲ばかり。マイケル・ナイマン、ジョン・ケージ、ポーリン・オリヴェロス、ウィル・エイスマ、松永通温、七ツ矢博資、野田雅巳・・。そして、このとき野村誠が初めてのガムラン作品『踊れ! ベートーヴェン』をつくり、ツアーに同行したのでした。その『踊れ!・・』体験が、私に色々なことを考えさせてくれました。野村さんの音楽の作り方は、これまでのものとは全く異なる・・・。『踊れ!・・』は、野村さんが楽譜を書いてきて、それを私たちが演奏するというスタイルではあったのですが、練習中にどんどん姿を変えてゆく。また、演奏者の意見を大胆に採り入れてゆく。これほどまでにガムランによる創作の楽しさを思う存分に味わったことはありませんでした。作曲家の書いた譜面をただただ一生懸命に再現するのとは違う・・・。私のなかに「野村誠」は最も大切な作曲家としてインプットされました。 |
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ちょうどその頃から、劇場的な作品(シアターピース)をつくってみたいという願望を抱くようになりました。そもそもガムランは共同作業的な媒体です。インドネシアでは、影絵芝居、演劇、舞踊などともにガムランが用いられています。むしろそれが当たり前。その方が、またガムランの音も生き生きしてきます。ある意味で、西洋のオーケストラの器楽曲と同様、ガムランだけの演奏は抽象的です。それがコスモロジー(宇宙論)と通じているにせよ、実感できることは稀です。言葉であれ、身振りであれ、光であれ、なんらかの共同者を得ることによって、ガムランの音は突如、具体性を帯び始めます。そういった作品を私たちのオリジナルとしてつくれないだろうか? そこで閃いたのが桃太郎なのです。 |
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